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Kibun

電車がきている線路を歩く男の人。その理由は・・・。

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こんばんは。今日はあまり天気が良くなかったので、子供と一緒に電車でショッピングセンターへ。

もうすぐ電車が来るとのアナウンス。そこに、50歳くらいの男の人がパジャマ姿で線路を電車が来る方向へ向かってスタスタ歩いていました。

子供が小さな声で、「あそこは歩いちゃダメなんだよ。」と。私は、きっと少しぼけてしまって迷子になってしまったんだと思い、どうやって電車が来る前に助けようかオロオロしていました。すると、同じ電車を待っていたおじさまが気が付いて、

「おい!電車が来てるんだよ!!そんなとこ歩いてんじゃねーよ!!」と叫びました。

しかし、その人は、スタスタと迷うことなく歩き続けました。

 

 

そして・・・・・

 

 

線路のわきにあった、空き缶を拾ったのです。おじさんは空き缶を拾うと、くるっと向きを変えて帰っていきました。

 

訳が分からず、キョトンとしていた私に

「10セントもらうためにあんなことしてるんだぜ。」と、先ほど怒鳴ったおじさまが言いました。

 

なるほど。しかし、この不快感は何だろう。

 

”10セントもらうためにあんなことしてる”

確かに、線路内に入ってまで空き缶を拾いに行くのは危険だと思いました。

しかし、あの人にはそうしなければならない理由があったでしょう。

あなたならいくらもらえれば、線路を歩いて取りに行きますか?

$1?  $10?  それとも $100?

私はまだ、学生ですから空き缶1つで$10。うーん、考えますね。

$100。行くでしょう。

 

お金の価値は人によって違います。「仕事がある人」は与えられた仕事をしてお金をもらえます。

しかし、「仕事がない人」は自分でお金を作る方法を考えなければいけないんです。

どうしてそれを笑うことができるんでしょうか。たかが10セント。そう言えるのであれば、「危険だから、私の10セントをあげるから線路に入るのはやめなさい。」と言ってあげることができないのでしょうか。「仕事がある人」にとってはたかが10セント。あってもなくても変わらない。しかし、そのおじさんにとっては、大切な10セント。この大きな違いは、どうやったらなくすことができるのでしょうか。

 

 

やられて嫌なことはやるんじゃない。やってもらってうれしいことをしなさい。

私の母の教えです。それは、とても単純だけど難しいこと。簡単だけど勇気がいることだと思います。

でも、ちょっとの優しさでなにかが大きく変わると私は思います。

 

 

そんなことを考えさせられた1日でした。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。